
「外国人料金」と聞いてもピンとこない方も多くなってきていますが、かつての中国では列車をはじめ様々な場面で中国人と外国人とで料金が違いました。
かつて貧乏旅行者の敵であった外国人料金を懐かしむため、このページを作ってみました。とくとご覧下さい。
| 外国人料金とは |
かつて中国政府が「物価の内外格差の是正」という名目で行っていた制度です。単純に言えば列車の場合、同じ座席・区間なのに中国人民と外国人とでは2倍近く料金が違っていました。他にもホテルの宿泊費、飛行機運賃、観光地の入場料などにも差がありました。いうなれば国家ぐるみのボッタクリです。
またその当時は通貨まで外国人と中国人では違っていました。中国人は今でもお馴染みの人民幣でしたが、外国人の場合中国銀行(Bank of China)発行の「外貨兌換券-FEC(Foreign Exchange Certificate)」を使っていました。この通貨については後述します。
この制度は1990年代中ごろに航空運賃が先になくなり、続いて宿泊費、列車運賃など無くなっていき、1995年ごろにはほとんど消滅しました。
この制度の特徴は支払いには必ず外貨兌換券を使う必要があります。逆に言えば人民元で支払えば日本人などアジア系の人種は中国人と外観にさほど差がなかったので中国人料金で利用ができた場合もありますが、身分証明書が必ず必要な飛行機、ホテルではまず中国人料金の使用は不可能でした。
| 外貨兌換券とは |
外貨兌換券とは文字通り外貨に両替できる通貨です。1979年に登場し1993年に廃止の方針が出され1994年に市場への通用を停止し、1995年1月1日をもって完全に廃止されました。
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ちょうど手元に1角と5角紙幣が残っていたのでアップしてみました。他には1元、5元、10元、50元、100元とありました。
まず我々外国人旅行者が空港などの銀行で両替すると、外貨兌換券に両替されます。特徴はおもちゃ銀行券みたいに綺麗なのと交換レートが元高に設定されていることです。(1990年8月当時 1元=約33円、1991年8月当時 1元=約26円)
これらの裏面には「この紙幣は人民元と同一の価値を持つ」と書いてありますが、実際にはかなり違います。発行当時に通用したのはホテルや交通機関の外国人窓口、外国人向けおみやげ店である友誼商店ぐらいで、中国人民には存在を知られていなくて一般の商店で出すと受け取りを断られました。
しかしこの立場はすぐに逆転し、中国人民でもこの紙幣を持っていれば当時まず買えなかった外国製のタバコ・酒・家電製品などを買うことができました。このことを知るや、中国人民は喉から手が出るほど外貨兌換券を欲しがりました。そこで登場したのがブラックマーケットです。
これは人民元と外貨兌換券の不正両替で兌換券100元に対し人民元180〜120元ぐらいが相場でした。その当時外国人が街を歩いていると「チェンジマネー?」とよく声をかけられたものです。これはもちろん犯罪なのでもし捕まれば罰金刑+国外退去が待っていました。私は小心者なので商店で普通に人民元に換えてもらっていました。その時ほとんどの店員が自分の財布から人民元を出して両替してくれました(笑)
| 中国鉄路における外国人料金 |
中国鉄路も当時はもちろん外国人料金を使ってボッタクリをやっていました。今考えると本当におかしな制度でした。乗る席、受けるサービス(取り扱い)は同じなのに料金が1.75〜2倍違っていました。参考までに1991年8月当時の北京-天津の特快軟座料金は外国人24元に対し中国人は16元ほどだったと思います。硬座普快の人民料金は8元!でした。
当時の貧乏旅行者である管理者は何とかして交通費を安くあげるために人民元を手に入れて駅の窓口に並んできっぷを買いました。私の中国語力は日常会話にも困りますが、きっぷ購入だけは話せます(笑)
ただし逆に特権もありました。そのころの駅にはたいてい外国人用の窓口があり外貨兌換券で外国人料金を払いさえすれば殆ど「没有」攻撃を食らうことはありませんでした。また窓口も空いていました。どうしてもきっぷが買えない場合はパスポートを振りかざせば、何とかなりました。
外国人料金で買おうが人民料金で買おうが、列車に乗ってしまえばこっちのもので、外国人面で人民きっぷを持っていてもまず差額を取られることはありませんでした。乗務員にとって計算するのがややこしかったのでしょう(笑)
このころを知る管理者にとっては、今の外国人料金無しの時代はいい時代になったと思いますが、少し寂しい気持ちもします。
| 1990年代初頭の中国鉄路の状況 |
外国人料金のついでに当時の中国鉄路を紹介しましょう。
客車は非冷房の22型が主流で特快の軟座や軟臥には旧東ドイツ製の車軸発電空調車24型で「緑皮車」ばっかりでした。
22型の側面はロシア鉄道と同様にコルゲートが付いており、24型だけが平板仕上げでしたので、重厚に見えたものでした。
YZ22(硬座)にもよく乗りましたが、夏は扇風機が回っているだけで窓は全開でした。シートもビニールレザー張りの粗末なものでしたが、当時はそれなりに楽しかったですよ。非空調車なので天井がものすごく高かったという記憶があります。またトイレの便器も陶器製で今のプラスチックや金属製と違い、妙に重厚感を出していました。(ただしむちゃくちゃ汚かった)
長距離列車は通路、デッキまで人であふれており朝の歯磨きは座席で行い、うがい水はそのまま窓の外です(笑)
1990年に杭州-瀋陽まで直快(当時)のYZ22で2泊3日過ごしましたが、窓側でしたがイスに座ったままだと熟睡もできず、結構つらかったです。今もう一度やれと言われても絶対できません。ちなみにシートの下はがらんどうでしたので中国人乗客は新聞紙などを敷いてシートの下に潜り込んで寝ていました。横になって楽だったかも知れませんが、足の臭いが強烈だったようです。
YW22(硬臥)は、3段寝台の6人ボックスで硬座のように定員以上は乗っていなかったので、中国人と仲良くなれる車両でした。ただ上段は限りなく天井に近く圧迫感がありました。中段が一番いいと言われていました(圧迫感もなく横になりたいときにはいつでも寝れる)が、私は下段が好きでした。昼間は上段・中段客が降りてきますが、寝たいと意思表示をすれば上に上がってくれました。ボックスにはポットもありお茶を飲んだりインスタントラーメンを食べるときなどに便利でした。ちなみに硬臥車には消灯時間があり、22時になるとピタリと車内照明が消えました。寝台は硬座車と同じビニールレザーに薄いシーツを敷いただけでしたので寝心地はあまり良くないです。(寝台の幅も狭いです)
RW22(軟臥)にも乗りましたが、空調は付いていませんが今の軟臥車と違い内装に木材を多用し、本当に高級な感じがしました。今のように大衆化された軟座・軟臥と違い本当に外国人か公費出張の高級幹部が主な客でした。
RZ24(軟座)は座席のクッションもよく効いており本当にゆったりとした乗り物でした。ただ発車するまで空調が効かず始発駅ではサウナ状態なのが玉に瑕です。
今は軟臥が一番人気ですが、当時の長距離列車の一番人気は硬臥でした。3段寝台で個室になっていませんでしたが、値段が手頃だったからでしょう。発売されるとまず2時間以内に売り切れます。
きっぷは今と違い硬券で裏に乗車日・車次・座席指定が書かれた薄い紙切れが貼られていました。なぜ座席指定が紙切れかというとコンピュータで席の管理をしていなかったからです。
当時は硬座・硬臥は概ね3日前、軟座・軟臥は2日前に発売を開始していました。軟座・軟臥は駅の軟席・外国人専用の窓口で売っており、硬座・硬臥は行き先によって別のきっぷ売り場で売っていました。駅では当日の残きっぷを扱っていましたが、硬臥はまず没有でした。
| きっぷを買うのも命がけ |
自力で硬臥を買おうと思えばきっぷ売り場で野宿する覚悟が必要でした。北京で3日先のウルムチ行きの69次(現T69次)を買うために西直門(現北京北駅)近くのきっぷ売り場で野宿しました。その時ダフ屋の兄ちゃんと仲良くなりきっぷの買い方のレクチャーを色々と受けました。そうですわたくしのきっぷ購入の語学はダフ屋仕込みなのです(笑)翌朝7時きっぷが発売されましたが、自分の5番前ぐらいで69次が売り切れました。残念!するととっさにあのダフ屋の兄ちゃんが「35次の西安行きを買え」と行ってきたので「35次 西安 両个」と窓口に怒鳴りつけました。するときっぷ売りのおばちゃんが35次に「無」と表示を変え、ヤバイと思いましたがほどなくきっぷ2枚とお釣りを投げつけられ、ホッとしました。
今はコンピューター発券でZなど往復券が買える時代になり、楽になりました。当時のことを考えると夢のような話です。
| 「列車員は神様です」 |
この話は「中国鉄道倶楽部」のボーゲンさんに話したことがありますが、当時は駅員も乗務員も態度はすごく横柄でした。本来であれば我々はカネを払っている客なのに彼らにとっては「どうでもいい荷物」のような存在でした。
きっぷ売り場では駅員が面倒くさいときはどの列車のきっぷを望んでも答えはすべて「没有!」運良く買えたとしてもきっぷとお釣りは投げて返されます。
特に乗務員(列車員)には絶対逆らってはいけない、が当時の暗黙のルールでした(笑)硬座車では定期的に床のモップがけにきますが、みんな一斉に足を上げ彼女(彼)の仕事の邪魔をしないようにします。それに逆らって足を上げないものならモップで思いっきり足をぶっ飛ばされます。(実話だよ)また列車員に逆らい怒らせると大声で怒鳴られ、その後何もしてもらえなくなります。当時の硬座は家畜列車のような扱いでした。(軟臥は結構親切です)
硬臥の場合は終着駅よりかなり前から寝具の回収に来ます。もちろん逆らうと無理矢理シーツを引き剥がされます(笑)
余談ですが3つ星ホテルでもフロントの前に立ったとたん「没有!」レストランではメニューに指を指すものすべて「没有!」(笑)
2006年9月、上海に行ったときに軟座車に乗りましたが、今の列車員はものすごく親切で網棚からはみ出ている荷物を奧に押し込んでくれました。テーブルのゴミもこまめに回収にきてくれました。(容姿もかわいい)
以上で昔話を終わらせていただきます。おつきあいいただきありがとうございます。他のコンテンツも是非ともご覧になって下さい。